探究的な学びはローカルの最後の切り札【探究学習×社会教育士】
今回は、宮城県気仙沼市に拠点を置き、教育&まちづくりに取り組む一般社団法人まるオフィスで代表理事をされている加藤拓馬さんに「社会教育士」称号取得のきっかけや、現在のまちづくりの人材育成、教育事業といった地域独自の魅力や価値を向上させる活動と社会教育についてお話を聞きました!
震災の復興ボランティアを契機に気仙沼で活動
――― 加藤さんの現在の活動について教えてください。
一般社団法人まるオフィスでは、教育分野で地元の中学生や高校生の学びの支援と、移住や関係人口を含めて、地域の内外をつないでいく事業を中心に行っています。
私は、教育分野の事業を専らやっていて、「探究的な学び」をキーワードに地域と学校と一緒になって、中学生や高校生の学びをつくっていくことをサポートしています。
――― 現在、気仙沼で活動されていますが、活動されるようになったきっかけを教えてください。
大学卒業のタイミングで東日本大震災が発生し、内定をいただいた会社を辞退して、そのまま気仙沼に飛び込みました。新卒、無職、ボランティアという形で、最初はがれきの片付けとか、避難所の支援をして、落ち着いたら東京に戻ろうと思っていました。
ところが、ハード面でがれきの片付けが進んでも、ソフト面の部分、被災した方のメンタルの部分が悪化していくのを感じました。
まちを活気づけることが、復興において一番大切だと思い、まちづくり的なものを実践しながら、自分自身も学んでいきました。教育や社会教育について活動を始めたのは、2015、16年頃です。
――― 現在は教育にかかわる活動に力を入れておられますね、
一番最初は、結構なんでも屋さんでしたね。ですので、観光もやりますし、移住・定住関連も。私自身、地方創生が始まり、移住者と呼ばれるようになり、周りに移住者や移住者予備軍がいたので、移住者の暮らしの発信として、まちの中でのフリーペーパーづくりとかもやりましたし、何でもやっていましたね。それが2016年あたりから、地域教育と移住支援にだんだん絞られていったという感じです。
子どもの将来の選択肢を増やすことが地域社会では大切
――― 学びを通じた取組へ転換したのはなぜですか。
なんでも屋でスタートしましたが、まちづくりってすごくテーマが広く、あらゆることがまちづくりになっているので、自分たちの軸となるミッションをどこに掲げようということが、常々、課題感としてありました。
大人たちが例えば経済活動を通してまちづくりをするだとか、観光業として外から人を連れてきて外貨を稼ぐまちづくりとか、いろいろやってきた中で、私の中で一番刺さったのが、地域の子どもたちの未来の選択肢を増やしていくことでした。それが地域の機能としてあることが、地域にとってはすごく大切だし、子どもたちにとってもすごく大切で、でもなかなかお金にならないから、あんまり誰もやってないことへの課題感です。ですので、そこをやっぱり軸にしようと思いました。
その中で、探究的な学びに出会いましたが、「いい学びがあるまち」というブランディングは、いろんな人がかかわり続けたいまちになると思っていて、そういう意味ではすごくしっくりきているテーマです。
これは、気仙沼だけではなく、各地域・社会全体にとってもすごく大切なテーマだと思っています。
――― 探究的な学びではどのようなことをしていますか。
時代が大きく変化していく中で「教えから学びへ」といわれますが、先生による一方的な一斉学習で、教える側と教わる側に分かれる学びの在り方ではなくて、自分の興味や違和感、地域に関しての課題感、自分に対しての好奇心、そういったことを出発点に、自分で問いをたて、実践をしていくことで、学びを深めていくというのが、探究的な学びです。
探究的な学びでは、先生の役割がティーチングからファシリテーターへと大きく変わります。それを「総合的な探究の時間」という授業の中でサポートしたり、地域の中で何かやりたい中高校生を土日や放課後にコーディネーターとしてサポートしていくのが、私の役割になります。
現場で学んだこと体系的に学ぶ機会に
――― 社会教育士を取ろうとしたきっかけを教えてください。
何か高邁な志があったわけではありませんが、教員免許も持っていませんし、社会教育について学んだこともありませんし、ある意味何もないといいますか、武器も盾も何もないという状態で、現場で学んできたので、学び直しの機会を欲していたなと思います。ちゃんと、体系だったものを学ぶ機会を欲していた中で、社会教育士の制度が始まると聞いて、これはもうぴったりだと思ったんです。学べるし、名乗れるし、良いとこ取りだなと。これはぜひ、始まったら受けようと思っていて、2020年度は間に合いませんでしたが、2021年度に受講しました。
――― 社会教育を実践してきてよかったと思うことはありますか。
昨年、震災10年のタイミングで高校生のインタビュー動画をとりました。
18歳の高校生は当時8歳。この世代は絶妙な世代で震災前のことをあまり覚えておらず、自分がはっきり記憶している最初の記憶が震災という世代です。その子たちに10年間を総括してもらおうと。
インタビューしてみると結構ポジティブな答えが返ってきて、震災前を知らないので「復興の10年間=ずっと新しいことが生まれている」という認識なんです。私のように外から移住者や大学生がやって来て、地域の大人たちとわいわいやっているのを目の当たりにしているから、早くその中に自分も入りたいと答える子もいました。
私はすごいうれしかったです。高校生みんながみんなそうではないのでしょうが、復興のプロセスで大人たちが挑戦してきたことから、刺激や学びを自然と受け取っている高校生がいます。自分もやってきてよかったなと思えました。
社会教育というものに出会ってよかったです。社会教育は、この子たちが次の時代を、次の社会を支えていくのが分かるいい仕事だなと。
探究的な学びはローカルの最後の切り札
――― 最後に、気仙沼市で活動してこられて今後の10年先、20年先をどのように描いていますか。
探究的な学びに必要なものがふたつあって、自分事にできるリアルな課題とすごく協力的で本気な大人です。生徒一人ひとりが、これがやりたいというテーマ、リアルな課題があって、それに対して「いいね、面白いね、じゃあやろうぜ」という大人。ふたつとも社会教育の領域だと思いますが、意外に都市部だと本気な大人はいるけれど、都市部ゆえにリアルな課題が少なく、田舎に行けばリアルな課題はあるけれど、本気な大人がいなかったりします。
気仙沼は両方いる、ある場所です。東日本大震災からの復興のプロセスは、どうやったら津波で被災したまちがまた豊かなまちになるんだろうと、大人が探究してきたプロセスです。自分以外の誰かのために本気でやる大人がたくさんいるということに、私はすごく惹かれて気仙沼に居続けているんだなって思います。
それをうまく中学生、高校生とつないであげるとすごくいい学びが生まれるまちになると思います。
それがポスト復興期につくっていきたい僕の中のビジョンで、気仙沼っていったらすごく「いい学びがあるまち」だよねというブランドをつくっていきたいです。
気仙沼でそれができたら、それを横展開して、どんどん拡大していきたいと思っています。いろんな地域に派生していくと、無理して田園回帰といわなくても、都市部から人が分散していくのではと思っています。
10年20年後には、多くの人がメタバースの中で仕事しているので、住む環境と勤めるオフィスが隣接している必要はなくなっていきます。そうなるといい学びのある日本のローカルに人が自然と移っていくと思っています。日本のローカルの最後の切り札として社会教育、探究的な学びがあると思っています。
社会教育士について、詳しくは特設サイトへ↓↓
一般社団法人まるオフィスについて、詳しくはこちら↓↓
気仙沼の中高生の探究的な学びの事例はこちら↓↓