地域と若者を繋ぐ:何かが起こった時、大きな力になる繋がりが生まれると信じて【NPO法人×社会教育士】
令和2年度から開始している「社会教育士」制度。社会教育士(社会教育主事)として活躍する方の活動、そして「社会教育」への想いの”記録”を新コーナー「わたしの社会教育士ノートsince2024」でフォロワーの皆さんと共有します!
※本記事の内容はあくまでご本人の報告に基づくものとなっています。
【わたしの社会教育士ノートsince2024 No.5】
地域と若者を繋ぐ:何かが起こった時、大きな力になる繋がりが生まれると信じて【NPO法人×社会教育士】
水谷 あゆみさん(NPO法人ezorock)
【経歴】
平成8年愛知県生まれ。大学卒業後の平成30年4月、NPO 法人 ezorock に入職。同年、発生した北海道胆振東部地震の被災地支援に従事。令和2年4月には、関係人口創出プロジェクト「179 リレーションズ」を立ち上げた。(同年、社会教育主事講習を修了。)
社会教育の方々と共通言語を持って、役割分担をしながら一緒に活動したい
ー社会教育主事講習を受講したきっかけー
学生ボランティアとして参画していたNPO法人ezorockへ入職して半年後の平成30年に北海道胆振東部地震が発災しました。私自身は災害も被災地支援の経験もないまま、発災2日後から現地での支援活動に参画することになります。
現地では主に子どもの居場所づくりに関わり、毎日、ボランティアのみなさんと一緒に現地へ通いました。子どもの居場所づくりの中心になっていたのは、社会教育に携わる方々(社会教育主事・関係団体)でした。大人も子どもも、みんなが本当に大変な中で、必死に子どもたちや町のために活動されている方々の姿をたくさん見ました。自分にできることはとても微々たるものでしたが、自分に何ができるのか、何をするべきなのかを考えていました。
また、被災地で他所からの一方的な支援ではなく、地域に住んでいるみなさんを第一に、それぞれが主体的に関わる場づくりを考えている方々だったことも印象的でした。その方たちが「社会教育」というものに関わる人たちだということを後々に知り、「社会教育って一体なに?」と思ったところから関わりが増えていきました。そこから、NPOという民間の立場でできることをしていくためには、「つながりを持った社会教育の方々(社会教育主事等)と共通言語を持って、役割分担をしながら一緒に活動していきたい」、そして、まずは「社会教育とは何なのか知りたい」と思ったことがきっかけで社会教育主事講習を受講しました。
「社会教育のことを知りたいな」と思っていた私と、社会教育士制度がスタートしたのが同じ年。
グッドタイミングでした。
一生懸命に取り組んだ結果の先に学びを得る チャンスがある
ー地域と若者を繋ぐ活動ー
普段は、北海道内の地域と札幌の若者を繋ぐ活動を行っています。私は元々自然環境や野生動物に関心があり、北海道内の大学へ進学しました。自然環境について学ぶ中で、自然が持続的であるためには、まずは地域で暮らす人々のことを知らないといけないと考えたところから、地域に関わるようになりました。
例えば、石狩市浜益区では、別の地域に住んでいるが、地域づくりに関わる人々(「関係人口」と呼ばれる方々)が、「はまますベース」という一軒家を拠点に地域活動に参画しています。果樹園など一次産業のお手伝い、お祭りへの参加、子どもキャンプの受入など活動は多岐にわたります。
いつも外から訪れた側の独りよがりな活動ではなく、地域のみなさんと相談し、お互いにできることを持ち寄りながら活動できることを大切にしています。
また、私自身、北海道胆振東部地震で大きな影響を受けた厚真町には今でも関わっています。毎年8~9月に厚真町で2週間以上の長期実習の受入を行い、町営の放課後児童クラブでの活動や農作業を中心に地域のみなさんとの交流を深めています。
これまでに50名以上の大学生が参加しました。この事業は、厚真町教育委員会の社会教育主事と私(社会教育士)が連携した活動となっています。地域のファン(=関係人口)が増えていくことは、地域にとっても若者にとってもその時の学びになるだけでなく、この先何かが起こった時、大きな力になる繋がりが生まれると信じて、毎年取り組んでいます。
多くの活動で私の役割はコーディネーターです。都市部で地域に行きたい若者を探し、一緒に事前学習を行って現地へ行き、振り返りを行います。特に北海道では人口減少が急激に進み、地域はたくさんの課題に直面しつつあります。一方で地域活動に取り組みたい若者が増えていることも感じています。
ただ、地域課題は学びのためにあるのではありません。ひとつひとつ目の前のことに地道に向き合って、一生懸命に取り組んだ結果の先に学びを得るチャンスがあると考えています。私自身も一緒に取り組み、学びながら、若者たちの背中を小さく押せる存在でありたいと思います。
歴史を引き継ぎ、今の暮らしに合わせて取組をつくる
私たちが活動している石狩市浜益区には、1988年に設立された地域の未来を考え、発信してきた市民団体があります。私たちは浜益区で活動する中で、この団体の存在を知り、当時どのような想いで立ち上げたのかをお聞きしました。その中で、地域の自然環境や歴史への理解を深めることや自分たちの地域は自分たちで話し合って作っていくという、まさに地域自治が問われる現代との共通点を見つけました。それから数年越しではありますが、当時のメンバーの方々と一緒に、現代版の団体を立ち上げるに至っています。
団体ができたことは手段のひとつでしかありませんが、地域で活動するのであれば、その地域で暮らしてきた方々に敬意を持って接し、互いに多くのことを学ぶ関係が必要だと思います。
社会教育活動であれば、地域の歴史や過去を前提に、目の前にある困りごとに向かって活動することは当たり前なのかもしれません。ただ近年、地域活動や課題解決と呼ばれるものの中には、社会教育の意図が汲まれず、過去や地域の文化のようなものをないがしろにし、キラキラとよさそうに見えるもの、発信しやすいものなどが注目されるケースが増え、世代間のギャップを大きくしているような気がして懸念があります。
若者たちが主体的に活動することが大切だと思いながらも、世代間の役割の違いを理解したり、対等に意見交換したりする場が必要だと感じています。
地域住民が主体になり地域のために活動するもの
ー社会教育とNPO(ezorock)の共通点ー
一番の共通点は、地域住民が主体になり地域のために活動するものであることです。活動の始まりは、暮らしの中での小さな困りごとや課題感のようなもので、それを人と共有し、学び、解決のための活動を生み出すことそのものがNPOであり、社会教育活動なのだと感じています。
NPOは民間として柔軟に小さな課題感にも対応できるのが特徴です。私たちは現場にいて、話を聞き、自分の目で感じたことを、すぐ行動に移し、試験的にでも活動を作り出すことができます。それは、目の前にある困りごとや課題は、たとえ、小さなニーズであっても、キャッチすれば、解決に動く必要があると考え、他組織と連携することが前提にあるからです。
一方で、私が説明するのもおこがましいですが、行政の計画の場合、年間単位で、また、多くの人に当てはまる広い課題に対して、行政の幅でできることをまずは計画書に落とし込むといった印象があります。つまり、事例を基にした仕組みづくりが得意だと思っています。
例えば、災害が起こった時。NPOがなければ子どもの居場所づくりやアレルギー対応、避難所へ行けない在宅被災者への対応などひとりひとりへの支援は難しくなります。逆に、ライフラインの復旧や町全体として計画を立てて、復興に向かっていくことは行政にしかできません。さらに社会教育の視点から言えば、被災した地域住民が主体となった活動が行われるよう促していくことが求められると思います。どれかだけでは片手落ちです。それぞれの立場でできることを精一杯やりながら、役割分担して共に動くことが必要です。
社会教育で生み出される人とのつながりは、ライフラインのひとつになるほど大切なものだと考えているため、現場で柔軟に活動できる民間とそれを広く仕組みとして社会に定着させていく行政のどちらも重要だと考えています。ちなみに、「社会教育」の中に「社会教育行政」と「社会教育的活動」があると理解できたのは最近です。実は社会教育主事講習を受講した際、周りはほとんどが行政職員の方でした。それまで行政との関わりが多くなかった私は、共通言語が持てなかったり、活動の組み立て方の違いに少なからず戸惑いとギャップを感じました。
考えてたどり着いたのが、上述の役割分担です。それぞれが対等に、かつ同じ方向へ向かって力を尽くせる関係を作っていきたいと思います。
なんだか偉そうなことを書いてきましたが、私自身も社会教育を学んだのはここ数年です。その中で、社会で生きる上でこんなにも大切なものがあったのか!と数々の衝撃を受けました。たくさん勇気づけられてもきました。これからも学び続けながら、地域間、世代間を超えた繋がりを作っていけるよう頑張っていきたいと思います。
また、勝手に社会教育の概念を広めていくのが社会教育士の役割だと思っています。地域活動で困ったことに直面した時「その活動、社会教育にヒントがあるよ!」と言える人になりたいと思います。
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